感動して泣いている男性の画像
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泣ける感動話の一覧

被災したとき、俺はまだ中学生でした。
全開した家で、たまたま通りに近い部屋で寝てたので、
腕の骨折だけで自力脱出できました。

奥の部屋で寝ていたオカンと妹はだめでした。

なんとかしようにも、あたりも真っ暗、
俺も怪我していて手作業ではどうしようもなく、
明るくなってからようやく
近所の人に手伝ってもらって瓦礫をどけながら、
必死で掘り返しました。

でもどうしようもなかった。

半日以上たってから、
自衛隊の人を見かけて夢中で助けを呼びました。

数時間以上かけたと思います、
自衛隊の皆さんは瓦礫の中から母と妹を救助してくださいました。

残念ながら母も妹はすでに亡くなっておりました。

その後、家は家事で焼け落ちました。
あの時自衛隊の皆さんが来てくださらなかったら、
妹の遺骨を焼け跡から拾うことになったのかも知れません。

ボロボロになった妹の体を引きずり出して、
「ごめんなぁ」とつぶやいた自衛隊の方の顔を俺は一生忘れません。

あの時は、本当にありがとうございました。
それから、俺の怪我の手当もしていただきました。

ありがとうございました。

政治家が何を言おうと、俺達はあのときの皆さんに感謝しています。
本当にありがとうございました。



俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。

その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

おやじ・・・・。本当にこっちこそありがとう!


兄が「なんで女って結婚式にこだわるんだろう」って言ったとき奥さんが「あのね、親戚とか友達とか自分の大事な人達がみんな集まってくれるのは人生で3回しかないんだよ。
生まれたときと結婚式とお葬式。
その中で記憶に残るのは結婚式だけでしょ?」って。
なんか心に響いた。


あの日俺は彼女と些細な事でケンカをしていた。
険悪なまま彼女は車で仕事へ行った。俺は友達に会って彼女の愚痴を言いまくってた。

そして彼女の仕事が終わる頃にメールを送った。
相変わらず内容は、あーでもない、こーでもないとくだらないやりとりだった。

そのうち彼女から返信が来なくなったけど、ケンカ中だったし何にも気にも止めなかった。

1時間くらい経って彼女の携帯から電話がかかってきたんだ。
俺はわざとめんどくさそうに出た
「はい。」
そしたら受話器の向こうからは、彼女じゃなくて別の女の人の声で

「あんたのせいだ!!」

「あんたが殺した!」

とか、凄い勢いで怒鳴っていた。
俺が訳もわからず戸惑っていると、今度は落ち着いた男の人に代わった。

彼女は、車で電柱に正面から突っ込んで、死んだ。

「おそらく運転中のメールが原因の不注意による事故でしょう」

電話の向こうで、たぶん警官だと思われる落ち着いた男の人の声でそれを聞かされた。

放心したまま電話を切ると、俺の携帯が1件のメールを受信しました。
それは事故直前の彼女からのメールでした。

「なんか意地はっちゃってごめんね。」

俺は彼女のご両親からひどく避けられ、お葬式にも顔を出させてもらえなかった。
まだ彼女に…

「俺の方こそごめん」

って、返信出来てないんだ。
言いたかった。
ごめんって言いたかった。
そしてホントなら、今もずっと一緒にいたかった…。



ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを持っていたのかもしれない。
酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。

親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。
あっけないな、とは思ったが、何か時間が寸断されるような感覚はなかった。
親戚が自宅にきて、これからのことを話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。

横になったビールがあった。
時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた。


お父さんが亡くなって一年半が経ったんだね・・・
月日が経つのはあっという間だね。

お父さんが体調の変化を感じた時には
もう病気はかなり進行してたね。
なんでもっと早く気がついてあげなかったんだろう。
この一年半自分を責め続けたよ。

最初に診てもらった個人病院では「糖尿病」と
診断されて、一生懸命食事療法と運動をしていたね。
でも症状は悪化していくばかりだった。
二度目に訪れた大学病院ですい臓がんだと
わかったんだ。
「どうして誤診したの!」って
始めの病院の医者を恨んだよ。

時間が経っていくと、お父さんの声が、ぬくもりが、
だんだんとなくなっていく。
もっと一緒に時間を過ごしたかった。

でも、もうたちなおらないと。
子供も生まれたから。
頑張るよ、お父さん。



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